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安土・桃山時代の食生活

「腹が減っては戦はできぬ」とも言われる通り、戦国の世では食事は非常に重要なものとして考えられていました。
武士の基本は1日2食の玄米または麦飯と味噌汁。
一度の食事でコメを2.5合食べていたと言います。
おかずは質素で、梅干しや納豆、野菜や海藻、時には魚や野鳥類も食べられ、基本的に濃い味付けにして体力を維持していました。
合戦中は、お湯に溶かすと味噌汁に早変わりする味噌玉や、おむすび、玄米と魚類や豆類などを球状に丸めた兵糧丸など、現代のインスタント食品のように手軽に食べられる陣中食を、1日3食しっかりと食べていました。
玄米中心のシンプルな食事が基本だった戦国時代ですが、武将が客人をもてなす際には、海の幸中心に七膳の料理が出される豪華絢爛な「本膳料理」がふるまわれました。
この本膳料理は、日本を訪れた宣教師によってヨーロッパに紹介され、フランス料理のフルコースに影響を与えたと言われています。
この時代も牛・豚・鶏などの肉食はしませんでしたが、キリスト教に改宗した日本人や、貿易の場である長崎の人々は、ヨーロッパの影響を受けて肉を食べるようになりました。
玄米や麦飯を多く食べていた武士や庶民に比べ、朝廷に使える公家は、臼や杵で精米した分づき米を中心に偏った食事をすることが多く、栄養不足による脚気やアルコール依存症になることが多く、短命だったそうです。

上写真)戦国武将の食事の再現
玄米と味噌汁が基本のシンプルな食事であった。
玄米を1日5合ほど食べていたため、栄養不足になることはなかったという。


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