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江戸時代の食生活

江戸時代以前は、基本的に玄米菜食でした。
お米は年貢(税金)で納めなければならなかったので、多くの農民は雑穀や芋や野菜を混ぜた「かて飯(メシ)」や雑炊を食べていました。
副食もいらず、調理の手間もなくなるので経済的で、栄養もあり、当時の人々の生活の支えでした。
「かて飯」とは、米以外のものを加えることをいい、「かてる」とは「加える」という意味があります。

江戸時代になると、精米技術と流通の発展により、江戸を中心に白いご飯が大流行し、江戸の人々の主食は白米となりました。
3代将軍 徳川家光(1604~1651)、桜町天皇(1720~1750)、13代将軍 徳川家定(1824~1858)、14代将軍 徳川家茂(1846~1866)、家茂の正室である和宮(1846~1877)、小松帯刀(1835~1870)など、脚気が原因で若くして亡くなっています。
まだビタミンが発見されていない当時は原因が分からず、江戸に行くと体調が悪くなり故郷へ戻ると治ることから、この症状を「江戸患い」と呼びました。

脚気の原因はビタミンB1欠乏です。
ビタミンB1を豊富に含む糠(ぬか)を精米した白米ご飯と、ビタミンB1を含まない副食を食べることで脚気になります。
江戸時代にこうした食卓が広く流行し、明治時代には1年間で2万5千人以上もの人が亡くなりました。


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