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弥生時代の食生活

紀元前5~10世紀頃から紀元3世紀まで続いた弥生時代は、本格的に稲作が始まった時期として、日本人の歴史において非常に重要な時代です。
動植物が主食だった縄文時代から変化し、米を中心に粟、ヒエ、麦などの穀物が主食となりました。
米をお粥にし、ワカメなどで汁を作り、魚介の塩焼きや、大根や蕪の塩漬け、茹でた里芋、桃や柿などの果物、そして米の生産が不十分であったことから、足りない分のデンプン質を栗やトチなどの木の実で補っていました。
同じ頃に米の副食として牛・豚・鶏を主に食べていた中国とは違い、日本では獣肉が中心になることはなく、米と魚、野菜などを主に使う「和食」の基本が出来上がりました。
また、華美な装飾がされた縄文土器から変化し、機能に応じて薄く硬く焼かれた簡素な弥生土器が使われるようになり、水を貯める壺、煮炊き用の甕、盛り付け用の高杯(たかつき)など様々な種類の器が造られるようになりました。
鳥取県の青谷上寺地遺跡からは木製のスプーンが数多く出土されており、お粥や雑炊、汁物を食べる際にスプーンを使っていたことも分かっています。

この時代に本格的に始まった稲作は、日本人の生活と社会体制を大きく変えました。
収穫量と貯蔵性、そして栄養にも優れている米を多く持つものは、富と権力を持つようになり、米作りのための土地や水をめぐって争いが起こるようになりました。
いくつかのムラ(集落)から指導者が現れ、クニへと発展し、そのクニを従えた大きなクニができるようになります。
女王 卑弥呼が従えた邪馬台国もそのひとつです。
弥生時代後半には米が税として納められるようになり、後の飛鳥時代、701年の大宝律令によって、租(米)・庸(労役)・調(布や特産品)という税制度が完成しました。
田植えや収穫など、数多くの共同作業を必要とする米作りは、和を大切にする日本人の国民性の基になったともいわれています。
(上写真)復元された弥生時代の食事(静岡市立登呂博物館)
煮炊きした米や雑炊、雑穀、野菜、魚を弥生土器に盛り付けて食べた



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