古墳時代の食生活
水田を作る技術や農具が急速に発展し、米の収穫が増え、蓄えることもできるようになりました。朝鮮半島からはカマドが伝わり、お粥や雑炊だけではなく、米を蒸した「強飯(こわいい)」とよばれる赤飯のようなご飯も食べられています。
また、魚介類やイノシシなどの獣肉、汁物、野菜や木の実などに加え、穀物や魚介類を発酵させた、味噌や醤油、塩辛などの原型も造られるようになりました。
豊かな農作物により漁業や狩りは少なくなりましたが、作物の少ない冬や、田畑を荒らす獣を捕らえるために行われていたようです。
また、果実酒や、村の男女が生米を噛んで吐き出して造る口噛み酒、さらに現在の日本酒の原形のような麹カビの酒も造られ始めました。
古墳時代には、水田造成技術を応用して、クニの王たちの古墳が造営されました。
やがてクニは統一され、大和政権が誕生します。
大和政権の君主は「大王(おおきみ)」と呼ばれ、7世紀頃には「天皇」と呼ばれるようになり、天皇を中心に権限や財源が一元化されて中央集権的な組織へと発展していきました。