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竹内文書から発見されたキリストの墓と遺書⁉

古代エジプト文字・象形文字・ヘブライ文字・ハングル文字・アルファベットなどの原点とされる、漢字伝来以前に古代日本で使用された神代文字の世界最古の古文書がありますが、第25代武烈天皇(489~507年)の勅命により、武内宿禰(たけのうち すくね)の孫の平群真鳥(へぐり のまとり)が訳した写本群と、文字の刻まれた石や鉄剣などを総称した「竹内文書」は封印されました。
時を経て1928年(昭和3年)皇祖皇大神宮(茨城県磯原町)第66代管長竹内巨麿(たけのうち きよまろ)により竹内文書は公開されます。
3000億年前から人類が6回も滅亡していることやキリストについての記述があり、竹内巨麿自ら青森県新郷村でキリストの墓を発見したり、1936年(昭和11年)には考古学者の一団がキリストの遺書を発見したり、考古学・地質学者の山根キク氏の著書でとりあげられたことから新郷村は神秘の村として注目されるようになりました。
その一方で古文書の加筆や偽書としても疑われたり、1930年(昭和5年)には皇祖皇大神宮や竹内巨麿が弾圧を受け、神宝を含む竹内文書約4,000点と史跡の現地調査の報告書などが没収され、最高裁で無罪判決となるものの没収されたものは返還されず、東京大空襲により全て焼失したとされています。


青森県新郷村にある「キリストの墓」



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