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「斎庭の稲穂の神勅」
天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)に斎庭の稲穂を授け、日本を治め繁盛させることをお任せになりました。

天皇とお米の関係

イザナギとイザナミという男女の神が、日本の島々を造り出し、その後、神々を産み出しました。
そのうちの一柱が天照大神(あまてらすおおみかみ)という神で、天皇の祖とされる女神です。
日本最古の歴史書『古事記』や『日本書紀』には、天照大神の孫である邇邇藝命(ににぎのみこと)が高天原(天上界)から日本に降臨する際に、天照大神から三種の神器と三大神勅(御告げ)を授かったことが記述されています。
その三大神勅の一つに「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」があります。
「我が高天原に所御(きこしめ)す斎庭の稲穂を以ちて、また、まさに我が御子に御(しら)せまつるべし。」
訳すと「高天原にある神々へ捧げる神聖な水田で出来た稲穂を我が子(直系代々の天皇)に与えるので、地上で栽培し、これで国民を養いなさい。」とあります。
邇邇藝命(ににぎのみこと)の曾孫である初代天皇の神武天皇(紀元前660年2月11日即位)から、歴代天皇はこの神器と神勅に基づき、國を治め、皇室系統が永久に続くように現代までこれを護り続けてきました。

天皇がその年に収穫された米などの新穀を神に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式である「新嘗祭(にいなめさい)」や、天皇が即位して初めて行う新嘗祭である「大嘗祭(だいじょうさい)」も、飛鳥時代(592-710年)には宮中の儀式として正式に整いました。
生活において稲作が大きな役割を占めるようになると、人々は稲作を成功させるための条件を作り、「肉食をすると稲作が失敗する」と強く信じるようになります。
天武天皇時代の675年からは、イノシシやウサギ、野鳥など一部の動物を除き「牛・馬・鶏・猿・犬」の肉食が禁じられ、その後、肉食を忌み嫌う習慣は、明治天皇が外交のために自ら牛肉を口にし解禁した1872年まで続きました。
645年の「大化の改新」以降、天皇を中心とする国づくりが進み、701年、文武天皇の時代に「大宝律令」が完成。
中央集権的な国家体制が固まりました。
大宝律令では様々な法律が作られ、租(米)・庸(労役)・調(布や特産品)という税制度が整います。
その後も国家は、お米を財政や経済の基本としていき、朝廷よりも強い権力を持ったと言われる江戸幕府でも、土地の価値や身分を米の収穫高で測る「石高制」を確立しました。
米を税として国に納める仕組みは、明治時代の地租改正まで続きます。
こうして、古代の神そして天皇は、お米を至上のものとし、食と社会づくりに深く関わるような仕組みをお造りになりました。


左から昭和天皇・平成天皇・令和天皇   (出典:朝日新聞デジタル / 宮内庁)

現代でも、天皇は国民を養う源泉となる“命の根”(イのちのネ)即ち“稲”(イネ)を大切にし、神勅に基づいて神田に入り、田植えや稲刈りをされます。
皇室と国民が代々続くように「子が芽吹く」願いを込めて「コメ」といい、「込める」のは「男」、「芽吹く」のは「女」、両手でコメを結ぶことを「おムスび」といい、「ムスコ」と「ムスメ」の「結び=生すび」が子孫を継承させ、国家である君が代の「苔の生すまで」にあるように國を繁栄させ続けます。
因みに寿司など片手でコメを握ることを「おにぎり」と言います。


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